少し前、アフタヌーンティーについてのテレビ番組を見ていたときのこと。あるアンティークのティーカップが映し出された時、私は「あっ!」と驚きました。
それは、ちょうどその時読んでいた『摩擦』の本に載っていた、紅茶の話にリンクするカップだったからです。
どんなものかというと、こんな形のものでした。
一般的なものとの違いは一目瞭然ですよね。ソーサーがただの平たいお皿ではなくて、カップを支えるホルダーつきです。
時は20世紀初めのイギリス。
訪問先では紅茶が出されるわけですが、運ばれる時に、紅茶がソーサーにこぼれてしまうことがあったそうです。それどころかひどい時はひっくり返してしまう…。
だいたいはカップがソーサーの上で滑ってしまい、それを止めようとしてソーサーを傾けてしまうからのようです。
残念ながらはっきりとした記述は見つけられませんでしたが、
冒頭の写真のようなソーサーの存在理由の一つは、この現象の解決の為ではないかと個人的には思います。
この現象に注目したのが、レイリー卿(John William Strutt, 3rd Baron Rayleigh、1842年-1919年)という物理学者でした。
大気環境を専攻した私にとっては、空が青く見えることに関する「レイリー散乱」で馴染みのある方です。ちなみに1904年には、ノーベル物理学賞を受賞しています。
レイリーさんは紅茶が少しこぼれてカップの底を濡らすと、途端に滑りにくくなることに気づきました。
乾いていると滑りやすく、濡れると滑りにくい・・・
この摩擦の変化に注目したのです。
レイリーさんは実験を行い、1918年にティーカップの摩擦についての論文を書きました。しかし、論文の冒頭には「結局、よくわからなかった」と書いています。
なぜなら、当時、摩擦面の流体の存在は摩擦を減らすとされていたのに、ティーカップの観察結果からは、こぼれた紅茶は摩擦を増やすように働くとしか思えなかったからです。
つまり、常識からすれば奇妙なことだったのです。
確かに、雨の日を思い起こせば、濡れていると滑りやすいですよね。
のちにこれは、ティーカップについた“油”が原因であったと分かりました。
例えわずかであっても、ぬるぬるの油分がついていれば滑りやすいのは想像に難くありません。
ところが、紅茶がこぼれてソーサーやカップの底の表面にある油が熱い紅茶で洗い流されてしまうと、すべりにくくなるから、
と考えられています。
これには生活様式も関わっています。
当時のイギリスでは、通常は洗剤を入れたお湯に食器をつけたあと、すすがず、そのまま乾かすか、リネンで磨くだけだったそうです。
ということはカップやソーサーの表面にわずかに洗剤が残っていて、そこにこぼれた紅茶がかかるとその洗剤が溶けだし、油をより洗い流しやすくなって、すべりにくくなる現象が現れたのかもしれません。
日常の現象を“そういうもの”と思ってしまえばそれでおしまいです。
しかし、「なんでだろう?」と考えていくと、私たちの「当たり前」にはまだまだ科学の大発見が隠れているのかもしれません。
(普及 ナターシャ)
<参考>
・曾田範宗著「摩擦の話」
・河野彰夫著「摩擦の科学」
・田中幸・結城千代子著「摩擦のしわざ」