皆さんは『間瀬石』という石の名前を聞いたことはあるでしょうか?今回は企画担当の近田が『石』にまつわるお話をお届けします。
1.きっかけは一杯の珈琲
ことの始まりは昨年度末。私の大学時代の恩師の最終講義があるということで、同じ研究室にいた友人と挨拶に伺いました。
その際に手土産として選んだものが、『間瀬石』を使って珈琲豆を焙煎したという、ちょっと珍しい珈琲です。

『銘石焙煎』とは熱した岩石から発生する遠赤外線で珈琲豆を炒ることを指すそうで、調べてみると日本全国様々な銘石焙煎珈琲がありました。長野県だと浅間山の溶岩を、静岡県は富士山の溶岩を使った珈琲。各地の銘石焙煎珈琲をお取り寄せしてみたくなります。弥彦山麓珈琲は飲みやすく個人的にも好みのブレンドで、恩師・友人と美味しい珈琲を片手に楽しい時間を過ごせました。
けれども、ここでひとつ疑問が生じました。“『間瀬石』とは何か?”そもそもこの珈琲を選択した理由は、私自身が大学時代に地質学の研究室に所属し、新潟市西蒲区にある間瀬地域の岩石を研究していたからなのです。けれども『間瀬石』という名はこれまで聞いたことがなかったため、私の中で“『間瀬石』は何岩か?”という疑問が残ったままになったのです。
2.『間瀬石』の情報を求めて
後日、『間瀬石』の銘石珈琲をつくられた新潟市の石材店さんにお聞きするのが一番早いかもしれないと思い切って連絡をしてみたところ、快く『間瀬石』の写真を提供してくださいました。

いただいた写真の『間瀬石』を見ると表面は薄茶色~白色をしています。お話によると、岩石に触ると表面はポロポロするとのことでした。また、黒色~暗褐色のように見える鉱物も入っているように見えます。
写真だけでは判断が難しいと感じた私は、次に『間瀬石』が採掘された石切り場の位置を探ることにしました。すると新潟市西蒲区の岩室地区で、近年『間瀬石』を切り出していた場所を案内しているという情報を得ることができ、早速ガイドの方にお願いをして連れて行っていただきました。

『間瀬石』の石切り場は間瀬漁港近くの道路脇から山道を登って行った先にありました。生い茂る木々をかき分け、たどり着いた先に見えてきた石切り場はまるでファンタジー映画の中にいるような不思議な雰囲気。まさに“秘境”という言葉が似合います。写真を撮りつつ、さっそく地層を見てみました。

赤色の矢印は地層の傾きを示す。

黄色の矢印で示した穴が棒を挿した痕。
層の傾きとは異なり直角な割れ目になっていることから、自然にではなく人為的に岩石が切り出されたことがうかがえます。岩石が切り出された箇所の上に数メートルおきに大きな丸い穴があいていますが(写真5)、これは当時の石工が岩場を登るための足掛け用の棒を挿した痕だそうです。写真4・5内の右下に見えるスケールは長さ1メートルですので、どれだけ高いところまで登って作業をしていたのか、当時の石工の技能に圧倒されます。
3.野外観察からの考察
では、石切り場はどのような岩石なのか考えていきましょう。まず、間瀬の辺りでは新第三紀中新世(およそ2,300万年前~533万年前)の火山砕屑物(火山から噴出されたもの)を見ることができます。特に有名なものが間瀬漁港にある枕状溶岩で、粘性の低い玄武岩質マグマが水中で急冷されてできたものです。この他にも海沿いの露頭では、噴火で飛び散ったスコリアや火山礫なども観察できます。

石切り場の露頭全体に目を向けると、礫があまり見られないところと、ごろごろと入っているところがあり、いくつかの単層に分けて考えることができます。
火山砕屑岩は構成する粒子の大きさによって分類することができます。礫があまり見られない層は、層自体に厚みがあります。入っている礫のサイズは64mm以上のものもありましたが、この層に入っている量の割合から『火山礫凝灰岩』と分類できると考えます。
一方、礫が多く入っている層について、足元に近いところのみですがいくつか礫サイズを測ってみました。すると様々なサイズがあり、中には長径64mm以上もあるものや多孔質のものが多数観察できました。写真7の礫は黒色で多孔質なことからスコリアと考えることができます。
ただ長径70mmほどもあり、これは礫を超えて岩塊と呼ぶのか?と悩みました。そこで大学の恩師にも確認していただいたところ、右側の一部に急冷周縁相があることや、内側のサイズの異なる気孔の分布状態から火山弾の破片と言えるとのことでした。このことから火山砕屑岩の分類として考えると、礫が多く入っている層は『集塊岩』と考えることができます。

右側に細い急冷周縁相がある。
気孔は左上にかけて中程度、右上は小さめなことから火山弾の破片と考えられる。
これらの観察から、今回はこの石切り場の岩石を『水冷火山弾を含む集塊岩と、火山礫凝灰岩の互層』と結論付けたいと思います。
ちなみに大学時代に私が観察していた露頭は石切り場のすぐ裏側に位置しているのですが、論文にも『下部は火山礫凝灰岩層、その上が集塊岩層からなる』といった記載をしており、同じ露頭と考えています。もっと細かく調査を進めるとまた異なる結果になるかもしれませんが、そのときはまたどこかでお知らせできたらと思います。
4.『間瀬石』はどう活用されていたか
こちらも紹介しましょう。実は『間瀬石』について“何岩なのか?”を調べると同時に、歴史史料についても何か残っていないかを調べました。すると昭和29年に編さんされた「間瀬村郷土史」の中に、「間瀬石について」という項目で記載があるのを見つけました。
この石は学問上「凝灰角礫岩」といわれ、大昔佐渡海峡で火山が噴火した際、玄武岩質の所へ火山灰が附着して、長年月の間に出来た岩石であるということである。表面のぼろぼろと欠け易いのが凝灰質であり、あとに残るのが玄武質である。 <引用>間瀬村郷土史研究委員,昭和29年間瀬村郷土史,間瀬公民館,1954,97
この記述から『間瀬石』は昭和29年当時『凝灰角礫岩』と考えられ、使用されていたことが分かります。ただ「凝灰質」と「玄武質」は並列させる言葉ではないところが気になります。「凝灰質」は、火山が噴火したときに出てきた火山灰が堆積したこと指しますが、「玄武質」は地下深くにあるマグマの性質を指すからです。石切り場には玄武岩質であるスコリアの礫が多く入っていましたので、「あとに残るのが玄武質」という記述は、おそらくこれらの礫を指した記述だったのではないかと思われます。
「間瀬村郷土史」によると、『間瀬石』は明治時代に切り出されはじめ、当時はかまどや石垣などに用いられていたそうです。切り出した痕を見てみると礫部分は水玉模様に見えなくもなく、もしかしたら自然に作られた模様として楽しまれていたのかもしれません。
5.最後に
一杯の珈琲から始まった『間瀬石』を追う旅。改めて、自分が知らないことやわからないことを追いかけ、調べるということの楽しさを感じることができたと同時に、まだまだ勉強不足であることを痛感し学び直しをしたいと思った旅でもありました。今回紹介した銘石焙煎珈琲や間瀬地域の自然が気になった方は、ぜひ検索をしてみてください。
最後に、今回このコラムを執筆するにあたり新潟大学人文・社会科学系フェロー 藤林紀枝先生には多くのご助言をいただきました。また、調査にあたり各所にて多くの方々にお力添えいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。
企画 近田
※今回紹介した地域は佐渡弥彦米山国定公園地域内です。岩石・鉱物の採取等について規制されている地域があります。また間瀬漁港周辺の枕状溶岩は新潟県の指定文化財です。野外での地質観察は安全に気を付けつつ、各地域のルール・マナーを守って行うようご注意ください。
<参考>
・山岸宏光,水中火山岩 アトラスと用語解説 (第3刷),北海道大学出版会,2008年
・竹内 圭史・小松原 琢・村上 浩康・駒澤 正夫(2007),20万分の1地質図幅「長岡」(第2版),p2,産業技術総合研究所地質調査総合センター
・ 産業技術総合研究所地質調査総合センター,地質図Navi,https://gbank.gsj.jp/geonavi/ (2025年5月)
・佐々木実,火山砕屑物と火砕岩の分類,弘前大学2019年度地質調査法実習,2019年4月15日更新,https://www.st.hirosaki-u.ac.jp/~earth_solid/geoexp/pyroclasts.html (2025年5月)
・新潟市環境部環境政策課,自然公園(佐渡弥彦米山国定公園),2025年4月1日更新,https://www.city.niigata.lg.jp/kurashi/park/koen202004081500.html (2025年5月)